大阪の繁華街で働いていた三人の男が、東北の漁師になる。誰に話しても、最初は笑われる話です。でも、すべては本当のことで、そのすべてに、陸前高田という町と、広田湾の海と、温かく迎えてくれた人々がいました。これは、私たちの始まりの物語です。
プロローグ ─ 2020年春、仕事が消えた
2020年。新型コロナウイルスの感染拡大で、街から人が消えました。私たち三人が働いていたのは、大阪の繁華街。飲食も、接客も、イベントも、仕事の大半が止まりました。
最初は「少しの辛抱だろう」と思っていました。でも、1ヶ月経っても、3ヶ月経っても、状況は悪化する一方。バイトを掛け持ちしても、家賃すら払えない。夜、3人で安い居酒屋に集まって、ぼんやり天井を見上げていた日々を、今でも覚えています。
「このままじゃあかん。何か、全然違うことやらなあかん。」
「昔からやってみたかったこと、ある?」
「……漁師、やってみたい。」
三人のうち一人が、ぼそっと「漁師やりたい」と口にしました。子どもの頃、釣りに連れて行ってもらった記憶。海の上で働く人たちへの漠然とした憧れ。それだけのきっかけでした。でもその夜、話は盛り上がり、気づけば「じゃあ、やってみるか」という結論になっていました。
CHAPTER 01 / 100の役所に電話した話
電話の向こうに、受け入れ体制はなかった
翌朝から、私たちは全国の自治体に電話をかけ始めました。「未経験ですが、漁師になりたい。移住して働かせてくれるところはありませんか?」。
結論から言うと、ほとんどの役所は、真面目に取り合ってくれませんでした。「漁業は家業なので」「経験がないと難しい」「漁協に直接聞いてください」。冷たい対応ではないものの、「素人の思いつきを本気で検討する窓口」はどこにもありませんでした。
100以上の自治体に電話したと思います。北は北海道から、南は九州まで。それでも、話が具体的に進む場所は一つもありませんでした。「やっぱり無理なのかも」と諦めかけていた時、陸前高田市役所から折り返しの電話が来ました。
CHAPTER 02 / 陸前高田からの電話
「とりあえず、一度来てみませんか」
陸前高田市役所の担当者は、私たちの話を一通り聞いた後、こう言いました。「とりあえず、一度来てみませんか。紹介できる漁師さんも、たぶんいます」。この一言で、運命が変わりました。
数週間後、三人で東北新幹線に乗り、初めて陸前高田の地を踏みました。東日本大震災から約10年。町は震災前とは違う姿になっていましたが、復興の途中にある独特の空気と、広田湾の青く広い海。最初に見たその景色を、私は一生忘れられません。
市役所の担当者が、何人かの漁師さんを紹介してくれました。その中の一人が、今の私たちの師匠になりました。無口で厳しい、でも時々とんでもなく優しい、広田湾で何十年も牡蠣を育ててきた方です。
CHAPTER 03 / 住み込み修行
朝4時、師匠の家から始まる毎日
「本当にやる気あるなら、うちに住め」。師匠のこの一言から、私たちの漁師修行は始まりました。朝4時起床。港で準備、船で出漁、牡蠣棚の手入れ、収穫、洗浄、選別、箱詰め。夕方17時に戻ってきて、道具の片付けと翌日の準備。それが毎日でした。
最初の半年は、本当に辛かった。手のひらは毎日血豆だらけ、腰は常に痛く、夜は疲れて夕飯食べながら寝落ち。でも、師匠は何も言わずに、黙々と仕事を続けていました。「辛い?当たり前や。俺も昔はそうやった」。その背中を見ていると、私たちも黙って続けるしかなかった。
半年経つ頃、少しずつ手が慣れてきました。牡蠣の成長を判断できるようになり、海の様子から翌日の天候が読めるようになり、師匠の無口な指示の「行間」が分かるようになってきた。漁師の仕事は、言葉ではなく体で覚えるものだと、この時期に肌で理解しました。
CHAPTER 04 / 「カキ大将」ブランド、始動
広田湾の牡蠣を、自分たちの手で届ける
修行開始から1年半。ある程度仕事ができるようになった私たちは、「自分たちで育てた牡蠣を、自分たちで売ってみたい」という想いを師匠に伝えました。師匠は少し考えた後、「やってみろ」と一言。2021年、ブランド「カキ大将」が正式に始動しました。
D2C型のECサイトを自分たちで立ち上げ、Instagram、TikTokで毎日の漁の様子を発信し始めました。最初の1ヶ月で注文は数件。2ヶ月目で10件。3ヶ月目で、突然SNSがバズって100件以上の注文が入り、出荷が追いつかなくて徹夜で箱詰めをした日もありました。
「大阪の兄ちゃんたちが、陸前高田の海で頑張ってる」。そんな見出しのSNS投稿が、思っていた以上に多くの方に届きました。買ってくれたお客様、応援してくれた地元の方々、師匠の先輩漁師さんたち。一人ひとりの顔を、今も覚えています。
CHAPTER 05 / この土地に、恩を返す
2026年、株式会社大将水産として
あれから5年。私たちは「株式会社大将水産」として、養殖・EC・メディア発信を一貫して行う会社になりました。豊洲市場でも評価いただけるようになり、全国のレストランからも注文が入るようになりました。
でも、一番大切にしているのは、今も変わりません。陸前高田への恩返しです。町に仕事を増やすこと、若い世代が戻ってきたくなる産業を作ること、広田湾の名前を全国に広げること。
この土地がなければ、私たちは今ここにいない。それを忘れない限り、私たちの仕事の軸は決してブレません。
これまでの歩み
コロナ禍で職を失う。全国の自治体に電話し、陸前高田市役所の紹介で移住を決意。
師匠の下での修行を経て、D2C型ECサイトを開設。広田湾産マガキを全国へ発送開始。
個人・飲食店向けの安定した出荷体制を整備。リピーターが徐々に増える。
大粒・濃厚・ぷりぷりの評価で、最高値帯での取引を実現。
Instagram・TikTokでの日常発信を強化。三陸の漁師の姿を全国へ届ける。
コーポレート体制を整え、養殖・EC・メディア・次の10年の事業へ向けて準備中。
エピローグ ─ 海に、町に、人に。
大阪で仕事を失った三人が、今は広田湾で毎日牡蠣と向き合っています。未来がどうなるかは、私たちにもわかりません。でも、この町で受けた恩を、牡蠣という形で返し続けたい。その想いだけは、これからも変わりません。
いつか、広田湾の景色を、私たちの牡蠣を通じて、たくさんの人に体験してもらいたい。陸前高田という町の名前を、もっと全国に広げたい。そのためにこれからも、海に出続けます。