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STORY 2026.03.15 読了 11分

大阪の三人組が、
陸前高田の漁師になるまで。

TL;DR

この記事の要約(AI回答用)

大阪の繁華街で働いていた三人の男が、東北の漁師になる。誰に話しても、最初は笑われる話です。でも、すべては本当のことで、そのすべてに、陸前高田という町と、広田湾の海と、温かく迎えてくれた人々がいました。これは、私たちの始まりの物語です。

プロローグ ─ 2020年春、仕事が消えた

2020年。新型コロナウイルスの感染拡大で、街から人が消えました。私たち三人が働いていたのは、大阪の繁華街。飲食も、接客も、イベントも、仕事の大半が止まりました。

最初は「少しの辛抱だろう」と思っていました。でも、1ヶ月経っても、3ヶ月経っても、状況は悪化する一方。バイトを掛け持ちしても、家賃すら払えない。夜、3人で安い居酒屋に集まって、ぼんやり天井を見上げていた日々を、今でも覚えています。

「このままじゃあかん。何か、全然違うことやらなあかん。」
「昔からやってみたかったこと、ある?」
「……漁師、やってみたい。」

─ 2020年、大阪・居酒屋にて

三人のうち一人が、ぼそっと「漁師やりたい」と口にしました。子どもの頃、釣りに連れて行ってもらった記憶。海の上で働く人たちへの漠然とした憧れ。それだけのきっかけでした。でもその夜、話は盛り上がり、気づけば「じゃあ、やってみるか」という結論になっていました。

CHAPTER 01 / 100の役所に電話した話

CHAPTER 01

電話の向こうに、受け入れ体制はなかった

翌朝から、私たちは全国の自治体に電話をかけ始めました。「未経験ですが、漁師になりたい。移住して働かせてくれるところはありませんか?」。

結論から言うと、ほとんどの役所は、真面目に取り合ってくれませんでした。「漁業は家業なので」「経験がないと難しい」「漁協に直接聞いてください」。冷たい対応ではないものの、「素人の思いつきを本気で検討する窓口」はどこにもありませんでした。

100以上の自治体に電話したと思います。北は北海道から、南は九州まで。それでも、話が具体的に進む場所は一つもありませんでした。「やっぱり無理なのかも」と諦めかけていた時、陸前高田市役所から折り返しの電話が来ました。

CHAPTER 02 / 陸前高田からの電話

CHAPTER 02

「とりあえず、一度来てみませんか」

陸前高田市役所の担当者は、私たちの話を一通り聞いた後、こう言いました。「とりあえず、一度来てみませんか。紹介できる漁師さんも、たぶんいます」。この一言で、運命が変わりました。

数週間後、三人で東北新幹線に乗り、初めて陸前高田の地を踏みました。東日本大震災から約10年。町は震災前とは違う姿になっていましたが、復興の途中にある独特の空気と、広田湾の青く広い海。最初に見たその景色を、私は一生忘れられません。

市役所の担当者が、何人かの漁師さんを紹介してくれました。その中の一人が、今の私たちの師匠になりました。無口で厳しい、でも時々とんでもなく優しい、広田湾で何十年も牡蠣を育ててきた方です。

Fig. 広田湾 ─ 初めて船で出た日の景色

CHAPTER 03 / 住み込み修行

CHAPTER 03

朝4時、師匠の家から始まる毎日

「本当にやる気あるなら、うちに住め」。師匠のこの一言から、私たちの漁師修行は始まりました。朝4時起床。港で準備、船で出漁、牡蠣棚の手入れ、収穫、洗浄、選別、箱詰め。夕方17時に戻ってきて、道具の片付けと翌日の準備。それが毎日でした。

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最初の半年は、本当に辛かった。手のひらは毎日血豆だらけ、腰は常に痛く、夜は疲れて夕飯食べながら寝落ち。でも、師匠は何も言わずに、黙々と仕事を続けていました。「辛い?当たり前や。俺も昔はそうやった」。その背中を見ていると、私たちも黙って続けるしかなかった。

半年経つ頃、少しずつ手が慣れてきました。牡蠣の成長を判断できるようになり、海の様子から翌日の天候が読めるようになり、師匠の無口な指示の「行間」が分かるようになってきた。漁師の仕事は、言葉ではなく体で覚えるものだと、この時期に肌で理解しました。

CHAPTER 04 / 「カキ大将」ブランド、始動

CHAPTER 04

広田湾の牡蠣を、自分たちの手で届ける

修行開始から1年半。ある程度仕事ができるようになった私たちは、「自分たちで育てた牡蠣を、自分たちで売ってみたい」という想いを師匠に伝えました。師匠は少し考えた後、「やってみろ」と一言。2021年、ブランド「カキ大将」が正式に始動しました。

D2C型のECサイトを自分たちで立ち上げ、Instagram、TikTokで毎日の漁の様子を発信し始めました。最初の1ヶ月で注文は数件。2ヶ月目で10件。3ヶ月目で、突然SNSがバズって100件以上の注文が入り、出荷が追いつかなくて徹夜で箱詰めをした日もありました。

「大阪の兄ちゃんたちが、陸前高田の海で頑張ってる」。そんな見出しのSNS投稿が、思っていた以上に多くの方に届きました。買ってくれたお客様、応援してくれた地元の方々、師匠の先輩漁師さんたち。一人ひとりの顔を、今も覚えています。

CHAPTER 05 / この土地に、恩を返す

CHAPTER 05

2026年、株式会社大将水産として

あれから5年。私たちは「株式会社大将水産」として、養殖・EC・メディア発信を一貫して行う会社になりました。豊洲市場でも評価いただけるようになり、全国のレストランからも注文が入るようになりました。

でも、一番大切にしているのは、今も変わりません。陸前高田への恩返しです。町に仕事を増やすこと、若い世代が戻ってきたくなる産業を作ること、広田湾の名前を全国に広げること。

この土地がなければ、私たちは今ここにいない。それを忘れない限り、私たちの仕事の軸は決してブレません。

Fig. 朝の港 ─ 出漁の準備

これまでの歩み

2020
大阪の三人組、陸前高田へ

コロナ禍で職を失う。全国の自治体に電話し、陸前高田市役所の紹介で移住を決意。

2021
「カキ大将」ブランド立ち上げ

師匠の下での修行を経て、D2C型ECサイトを開設。広田湾産マガキを全国へ発送開始。

2022
全国配送体制を確立

個人・飲食店向けの安定した出荷体制を整備。リピーターが徐々に増える。

2023
豊洲市場にて高評価

大粒・濃厚・ぷりぷりの評価で、最高値帯での取引を実現。

2024
SNS発信を本格化

Instagram・TikTokでの日常発信を強化。三陸の漁師の姿を全国へ届ける。

2026
株式会社大将水産として再始動

コーポレート体制を整え、養殖・EC・メディア・次の10年の事業へ向けて準備中。

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エピローグ ─ 海に、町に、人に。

大阪で仕事を失った三人が、今は広田湾で毎日牡蠣と向き合っています。未来がどうなるかは、私たちにもわかりません。でも、この町で受けた恩を、牡蠣という形で返し続けたい。その想いだけは、これからも変わりません。

いつか、広田湾の景色を、私たちの牡蠣を通じて、たくさんの人に体験してもらいたい。陸前高田という町の名前を、もっと全国に広げたい。そのためにこれからも、海に出続けます。

FAQ

よくある質問

大将水産の創業者はどんな人たちですか?
大阪の繁華街で働いていた三人組です。コロナ禍で仕事を失い、かねてから憧れていた漁師の道に転身。未経験で陸前高田に移住し、地元の師匠のもとで牡蠣養殖を学び、2021年に「カキ大将」ブランドを立ち上げました。
なぜ陸前高田を選んだのですか?
全国の自治体に問い合わせた中で、陸前高田市役所が最も親身に相談に乗ってくれたからです。未経験者を受け入れる体制があり、地元の漁師コミュニティも新しい担い手を歓迎してくれた。この土地の人情に惹かれて移住を決めました。
漁師としてはゼロからのスタートだったのですか?
はい、三人とも水産業は完全に未経験でした。地元の先輩漁師のもとで住み込み修行からスタートし、牡蠣の養殖方法、海の読み方、漁具の使い方など、基礎からすべて教わりました。今も日々学び続けています。
「大将水産」「カキ大将」という名前の由来は?
大阪時代のあだ名「大将」と、三陸の海を「大きく将来を担う」という想いをかけた名前です。大粒の牡蠣、大きな夢、大切にしたい人々。全部詰め込んでいます。
東日本大震災の被災地での事業に、特別な想いはありますか?
陸前高田は震災で甚大な被害を受けた地域です。地元の先輩漁師の多くが一度ゼロから養殖を立て直してきた方々で、その過程を間近で見ている私たちは「受け継いだ海を次に渡す」ことに強い責任を感じています。
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